先日上田映劇で「つつんで、ひらいて」を観てきました。
1万5千冊をデザインした装幀家、菊地信義のドキュメンタリーです。
冒頭部分、一心不乱に紙を折っている主人公の菊地。
折っては伸ばし、伸ばしては折る作業をしばらく繰り返している。
もう少しかな?などと呟きながら、ゴシゴシしごいている。
これは何をしていたかというと、
紙にシワを付けていたのではなく、文字の方にシワを作っていたのだ。
いい感じに文字を擦れさせたかったらしい。
この時思った。
装幀ってなんて手作り感満載の仕事なんだろう。
ある時は、廃番になってしまった紙を自ら印刷会社に持ち込む。
(この印刷会社も、いかにも町の、といった感じの風情)
唯一の紙を、そこでしかできない技術・機械で印刷してもらうのだ。
装幀の仕事って、ただデザインをするだけじゃなかったんだ。
菊地は言う。
昔自分のおばあさんがよく「○○をこさえる」と言っていた。
「こしらえる」が「こさえる」になったんだろうけど、
この「こさえる」という言葉は、誰かの為に作るというイメージ。
そこにはいつも他者がいる。
装幀はまさに誰かのために「こさえる」
それプラス、きっと手のひらを使って大事に大事に作るものなんだろうなぁ。
「こさえる」は。
監督が最後にした質問、
「装幀という仕事は受注制作ですよね」にも菊地はこう答える。
「確かに装幀は受注制作。人と同じ。他者が居ての自分。
他者が自分の存在を認めているからこそ、自分の存在も確認できる」
菊地が作業をしていると、ふとテラスに猫が現れる。
いつも来る常連さんのようだ。
人が一生懸命アイデアを絞り出している横で、お日様を楽しむ猫。
やっぱりここは猫なのだ。
静かで、でもとても熱い作品でした。
お読みいただき、ありがとうございました。